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2016年12月22日

panda01.gif 公共投資における平等と経済効率性

大きな政府と小さな政府を目指すかで対立軸が存在するのですが、日本は比較的大きな政府を目指している国家だと思います。高負担、高福祉の国家を比較的目指していると言い換えることが出来ます。

大きな政府を目指したとしても個々人が生き難いところまで負担させることは出来ないので負担額には限界が生まれます。しかし、公共サービスを期待する場面においては、国民全体が期待するのは平等にサービスを受けられる事だったりします。

そのため、人が密集しない地域でもそれなりの病院の設置を求められたり、使われない道路が建設されるように求められたりします。当然、使われない病院や道路が設置されるのですから税収には結びつかないため、他からの税収で賄っていくしかないのですが、その他の財源が細ると政府といえども財政が破綻してしまいます。(その結果、公共サービスを縮小せざる得なくなります)

この現象は別に日本に限ったことではなく、デトロイト市のようにアメリカでも生じているし、ガンガンに地方政府が開発に力を入れている中国とて近い将来に生じる問題になるでしょう。一方で、小さな政府としてやってきた香港特別区のような所では、税収が予算よりも多くなったりして、予算以上の税収を個々人に年度末に返金していたりします。

大きな政府を目指すと何故このように成りがちなのかを考えていくと、公共投資の経済効率性が時間とともに悪くなっていくからなんだろうと思うわけです。

公共投資というと、経済効率性なんて求めずに、民間が手を出しにくい所に政府が投資をしていく事と考えることも出来ますが、この考え方は税収を増やそうという発想ではないので、(リターンを求める)投資の側面というよりは(リターンを求めない)消費としての側面が強い事になります。

したがって、一般的に公共投資を行うのならば経済を浮上させて税収を増やして、投資回収を狙うことになるわけです。日本が赤字国債を重ねてきたのも、経済を浮上させて赤字分を回収する事を目的としていたからこそだと思うわけです。

そうやって政府が借金をして公共投資をする際に、一番最初に投資されるのは当然のごとく多くの民間人にとって利便性が向上する所となります。それは、幹線道路建設であったり、鉄道建設、上下水道埋設であったりとインフラ関連となります。経済的に目詰まりを起こしていた部分に積極投資が行われるので、利便性が向上するとともに経済性が高まります。これにより税収増も期待できるわけです。

特に大都市では、投資を享受出来る人が多いので、効率的な投資が可能となります。こうなると、都市と地方で大きな格差が生まれるので、地方の人は国民の平等を求め、都市と同じような公共投資を求め始めます。しかし、当然ながら地方の方が敷地も広ければサービスを享受する人口も少ないので投資に対する回収率が低くなります。

それでも回収の目処が立っていればよいのですが、回収額が投資コスト以下になってしまうと赤字の垂れ流しと成り、税率を上げて更なる負担を国民に求めて借金額を減少させるか、破綻するまで借金を借り換えし続けて延命するかしか方法が無くなってしまいます。

こうならないためには、公共投資の中で、回収率が低かったり、回収そのものが期待できないサービスについては、赤字国債で賄うのではなく、税収の範囲内で実施しなければならないのですが、「平等」という大義が入ってしまうと、経済効率性の概念が無くなってしまい、効率性の悪いところにも同様な投資が行われるように成ってしまいます。

逆に経済効率性を優先させると、地方の発展が遅れるため、どうしても都市と地方の格差が大きいままであったり、格差が縮まる速度が遅くなってしまいます。結局、政府はそのバランスを取っていかなければならないのですが、どちらかというと世の中は「平等」の大義の方に重きをおくので、大きな政府を目指すと、どこでも同じような問題が後々発生してきてしまうような気がするのです。

投稿者 cazper : 19:53 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年12月 1日

panda01.gif WiFI付きArduinoの Wemos D1(ESP8266)を動かす

中国ではWemos D1というArduino基板にWiFiシールドをくっつけた一体型の基板が20元(大体320円)で売っておりまして、遊びに用にはもってこいの代物だったりします。(現在、後継機のWemos D1 R2が28元位で出回っております。)
Wemos D1

Arduino UNOで外部機器のコントロールをした事はあるのですが、今回はWiFi機能をどうしても使う必要があったのでWemos D1の互換機を調達しました。公式サイトで見ても、Arduino IDEからどのようにして動作させるのかが分からなかったので、ググってみると・・・Wemos D1を動作させているNyacomさんのブログが引っかかりました。そこを参考にしながら、まずはコンパイルしてプログラム転送するところまでやってみました。

基板にUSB刺したら自動的にドライバがインストールされた気もしたのですが、念のため、Wemosの公式サイトに入り、ドライバをダウンロードし、インストール。

その後、Arduino IDEを立ち上げまして、「ファイル → 環境設定」とクリックしていき、
Wemos Arduino 環境設定

環境設定の中にある「Additional Boards Managers URLs」の部分に「http://arduino.esp8266.com/stable/package_esp8266com_index.json」を書き込みます。
Wemos Arduino 環境設定

次に、「ツール → ボード → ボードマネジャ」と移動すると、esp8266の項目が追加されているので、インストールを実行します。すると、遠隔地からダウンロードが実行されるとともにWemos用パッケージがインストールされます。
Wemos Arduino ESP8266

すると「ツール → ボード 」の所に「WeMos D1(retired)」が追加されるので、それを選択します。
Wemos D1 select

これで、開発するための環境設定が終わりました。実際に書き込めるかどうかについては、「ファイル → スケッチの例 → 01.Basics → Blink」を選択し、マイコンボードに書き込みを行ってみて、基板のLEDがフラッシュすれば成功となります。

投稿者 cazper : 19:00 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年11月28日

panda01.gif ミュータンス菌も乳酸菌、乳酸菌で虫歯を防ぐ

虫歯の元になるミュータンス菌。Wikipediaで調べると、「スクロースやマルトースなどの糖類を代謝することにより乳酸を産生する」と書いてある。これって、立派な乳酸菌。ミュータンス菌の他に虫歯の原因となるのに「ラクトバチラス菌」があるらしいのだが、これも虫歯の原因となるらしい。

ミュータンス菌が特に虫歯に影響していると言われるのは、グルカンというネバネバ成分を作り、そのネバネバがプラーク(歯垢)の形成を促進し、普段は歯にくっつけないラクトバチラス菌もその中にグルカンの中に入り込んで一緒になって口内フローラを形成して濃厚な乳酸を作って虫歯を作っているようです。

今では、親から子に虫歯が感染るのを防ぐために、親の食べたスプーンを一緒にしないようにしていたりするのですが、それでも知識のないお婆さんが自分が食べたスプーンで子供に食べさせたり、キスをしたりと感染行為をバリバリしてしまい、感染リスクは高まっております。

感染が高まっている以上別の方法を考えなければいけません。「目には目を、歯には歯を」的に「乳酸菌には乳酸菌を」といった方法が無いものかと探していると、既に研究はされているようでして、現状てに入る虫歯を防げる可能性のある乳酸菌は4種類あるようです。考え方は簡単でして、グルカンを作るミュータンス菌が口腔内で減るように働く乳酸菌が活発化すれば、虫歯の可能性を減らすことが出来る可能性があるという事です。

ネットで虫歯予防効果があると謳っている乳酸菌は以下の通り。(薬事法の関係からか、実際には虫歯予防効果があるとは謳ってはおらず、研究結果としてミュータンス菌等の数が減少しているデータを提示していたり、口臭予防効果を謳っていたりですね。)

●L8020 [ラクトバチルス・ラムノーザスKO3株(Lactobacillus rhamnosusKO3)]
和歌山大が発見した乳酸菌で、ヨーグルト、マウスウォッシュ、タブレットが販売されております。私はタブレットを購入して、息子と自分でパクパクと食べて実験中です。


ロイテリ菌(ラクトバチルス・ロイテリ菌 Lactobacillus reuteri)

WB21

●LS1(ラクトバジルス・サリバリウスTI2711株)
こちらは虫歯予防を歌っているというよりは、口臭予防や歯周病予防を謳っている感じです。

●BLIS-M18(ブリアン菌)
ウィステリア製薬が販売している。菌を配合した歯磨き粉として販売。海外のEBAY等から買った方が安く買えることも。

以上見ればわかるように、虫歯の原因となるもなるラクトバチルス菌を利用して、ミュータンス菌の生成を抑制し、結果として、虫歯の発生確率を減らそうとしている模様。ちょっと言い方は悪いが、毒を持って毒を制す的な感じです。一般的な乳酸菌でもミュータンス菌の抑制効果はあるようなのですが、虫歯予防を考えていくと上記の菌から選んで、定着を狙ったほうが良さそうです。

コストパフォーマンス的には、L8020がお特そうでして、私と息子で実験をしている最中です。

投稿者 cazper : 13:13 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年10月25日

panda01.gif 資本主義下の労働と対価

世の中には、傍から見ても大変な労働をしているなぁという人は一定数いるのだが、その全員が高い給料を貰っているわけでは無かったりします。例えば、たまに過労により事故を起こすトラックやバスの遠距離ドライバーは労働時間からすると相当な時間労働をしております、一方で、商社や外資系コンサルの方々も深夜までバリバリ働いていると言われます。しかし、こと給料という面で見ると、圧倒的に商社や外資系コンサルの方が貰っているというのが一般的な認識です。

何故、同じように身体にムチを打つような長時間労働をしている両者の間に大きな賃金格差が生まれるのでしょうか?この手の質問をすると多くの人は、トラックやバスの運転手は誰でも出来るけれども、大手商社や外資系コンサルの仕事をこなせる人は能力も高く、このような人は希少なので給料が高いのであると。

ある側面では、この答えは正しいでしょう。しかし、それでは、商社と同じような給料を貰えながらも、そこまでの激しく労働をしなくても良い業界もあります。その給料の差は何から生まれるのでしょうか?

その答えは、結局のところ「高い資本効率を生み出すところで働いているのかどうか、働けているかどうか」に依るのだと思います。では「高い資本効率を生み出す」とはどういう事でしょうか?

そもそも経済成長に於いて重要な鍵となってくるのは資本効率や労働効率といった効率性の高さになります。例えば第2次産業が勃興している際には、ものづくりの新たなメーカが世に求められているし、大企業ほど効率良く世に必要とされる物を供給できるので、一般的には小企業よりも大企業の方がお金が儲かるので大企業に勤めた方が賃金も高めになります。また、企業が成長する際には多くの資金が必要とされている一方で、市場では資金が不足していたので、銀行が各家庭を回って預金してもらい世の中の資本効率を上げていきました。そのため、銀行は利益を上げて賃金も企業群の中で高くなりました。

しかし、時代が代わり第2次産業も競争が激しくなると、第2次産業の分野によっては市場供給の過程において十分効率が高くなり、売上を延ばすことが難しくなり賃金の伸びも落とさざる得ない業界が出てきました。銀行も同様で、金余り時代になると資本調達が楽になり、更にフィンテックが発達すればするほど、資本調達に於ける効率化に対して銀行の果たす役割が低く成っていくので、銀行も高い賃金を支払い続けるのが少しずつ難しくなるのは見えております。(既に地銀では、その傾向が出てきております)

そう考えていくと、資本主義に於いて高い賃金を貰うには、これからの世の中において「高い資本効率を生み出す」業界に入り込む事が必要条件とされてくるように見えます。当然ながら、「高い資本効率を生み出す」業界は時代とともに変遷していきますので、自分が学ぶ能力が、これらの業界で必要とされる能力であれば高い賃金にありつける確率が高いとも言えます。

話は代わりますが、専業主婦(主夫)が生み出す価値はどれだけなのか?というのを考えていきたいと思います。経済の発達の歴史というのを見ますと、経済が発達するというのは各業界が専門性を持って分業化していき、それに携わる人々も分業化された仕事に専門性を持って携わる事で効率を上げる事を意味します。

この観点から、主婦業(主夫業)を見ていくと、主婦業とは家庭の全ての事をなんでもこなして行く必要がある一方で、何でも屋ということは資本市場において効率化がされていないという事を意味するので、主婦業その物は資本市場に対しての効率性の向上にそれほど貢献していないと見なせます。

それでは専業主婦業(主夫業)が資本市場の効率向上に貢献しているのは何かといえば、夫もしくは妻が会社等で働くことに専業し、家庭における負担を無くすという分業が進むことで、(資本市場に対する)労働効率が上がるという点にあります。そう見ていくと、資本主義下における専業主婦業(主夫業)の価値は、主婦業(主夫業)そのものよりは、外で働く夫や妻の給与次第で決まってくるとも言えます。

日本では、現在、子供を保育園にあずける共働きが増えて来ておりますが、その背景には夫や妻の給与だけでは足りないという側面もあるのですが、日本における労働力が不足してきている中で、労働効率を上げるには、夫も妻も分業化された仕事を持ち、子供は保育園等の分業化された効率的な世界で面倒を見てもらう事により資本市場における効率を高めているという側面も持っていると思います。

人の幸福感と経済的効率性が何でもかんでも一致するわけでは無いところが、資本主義下での労働にはらむ矛盾点であったりするわけですが。

投稿者 cazper : 12:53 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年7月11日

panda01.gif オーナーシップと当事者意識は違う

まだまだ経験は薄いのだが、徐々に分かってきたのが「オーナーシップ」とは「逃げられない」という事。オーナーシップというと「当事者意識」と訳されたりするが、オーナーシップは当事者意識よりも深い意味があり、なけなしの自己資金と自分の時間を投入して、失敗が許されない情況に追い込まれないかぎり真のオーナーシップというのが出てくるのは不可能なんだろうなぁと思ったりする今日此の頃。

これは、日本電産創業者の永守氏も同じような事を言っているようなので間違いないんだろう。

ちなみに、上場企業に対する株式投資というのは、回転している資金に対して、現在の市場価格が将来の回転力を見込んだ現在価値よりも安い場合に於いて株式を買う行為であり、創業投資というのは回転が始まっていないビジネスに対して資本というガソリンを注いでビジネスを回転させる行為である。

創業に焦点を当てると、最初は回転も遅く、回転が遅いコマのように安定感が無いし、ブランコのように大きな動きを生ませたくても徐々にしか動きを大きく出来ないし、マーケットの風を読んでいなければ浮上すらできないので、創業投資というのは上場企業への株式投資よりも困難が伴う。

一度、ビジネスが回転し始めると、そこには売掛金や買掛金が発生し、信用関係が発生。更に、資金もそこそこなのに従業員も拡充させなければならないし、在庫も厚くしていかなければならない。優先にするべきは企業の客への信用に加え、経営者本人の従業員・客への信用も厚みを増していき、どんどんと逃げられない情況へ追い込まれていく。この柵の中で皆を引っ張れるかどうかが真のオーナーシップなんだろうなぁと。

幾ら「当事者意識を持て」と言われても、もし、そのビジネスが失敗した場合に逃げられるのであれば、それは真のオーナーシップでは無いんだなぁと。


以上のような事を考えていくと、軽々しく「オーナーシップを持て」なんてことを他の人には言えないんだなと思うと同時に、身近なステークホルダーへの責任を感じて行動する意識は持っていないと、どんな時にでも駄目だなとも思う次第。

投稿者 cazper : 12:12 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年7月 1日

panda01.gif 車載には非冷却赤外線カメラが爆発的に使われるだろう

今自動車の自動運転化において、様々なセンサー・カメラが利用されているのですが、株式マーケット的に注目を浴びているのは、ADAS(先進運転システム:高級運転補助システム)のコアチップを開発している企業でして、Mobileyeテキサス・インスツルメンツTIルネサス エレクトロニクスFreescaleがメインプレイヤーです。全志科技やら大唐電信やらが追っかけで研究開発しようとしているようです。

その周辺のADASシステムを作っているのは、WABCOAutolivContinental AG、Robert Bosch、DelphiデンソーMAGNAValeoTWRてな感じのようです。中国勢を見てみると、 苏州智华汽车电子有限公司锦州锦恒汽车安全系统有限公司北京经纬恒润科技有限公司纵目科技輝創電子股份有限公司前向启创数码技术有限公司となるようです。

また、ADAS周辺のセンサー系で注目を浴びているのはNXP Semiconductorsです。

コアチップを開発している企業は既に株価も火がついて結構上がってきてしまっております。一方、自動車の自動運転で必要なのはビジョンでして、一般的に思いつくところでは可視光のカメラセンサモジュールを制作しているSONYや超ワイドダイナミックレンジでSONYの牙城を崩そうとしているchronocamだったりします。レンズに関しては舜宇光学科技(集团)有限公司(サニーオプティカル)。当然、市場は見ておりまして、サニーオプティカルも携帯電話向けに加え車載用レンズが売れて株価も右肩上がりを続けております。

ただ、私が注目をしているし、まだ伸びが無いのが赤外線の分野です。自動車の自動運転を考えるに当たり、人間の目よりも優秀なシステムを作ろうとしたら、どのような天候でもある程度の視界を確保してくれる近赤外(SWIR)や遠赤外の照明やカメラ・レンズは外せません(所謂ナイトビジョン用)。車載用で赤外線カメラセンサー(ビジョン・チップ)の最大手は、ULISでして、ついでFLIRが食い込もうと頑張っていたりします。

車載用カメラの需要予測を見ても、自分で将来の自動運転を推測しても、非冷却赤外線カメラに搭載される赤外線センサーは必須だと思われるのに、どうも需要にも火が付いていないし、これらの企業の株価にも大きく影響を与えていないようです。

投稿者 cazper : 12:32 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年6月28日

panda01.gif メディア戦略で民主主義を利用してきたが、ネットの時代になり制御できなくなったでござる

今回のイギリスのEU離脱の件を眺めていると、「民主主義の弊害」「衆愚政治」と言った言葉が踊っている。他方、自民党系の方々からも「その身勝手な個人主義に基づく投票行動が政治を衆愚政治に向かわせ、政治は大衆迎合するようになっていった。」といった言葉が聞かれるようになった。だからこそ、衆愚政治にさせないためにも参政権をエリートのみに絞るようにしていくべきだという主張をしている人が増えつつ有るようである。

それなりの期間続き、広まってきた民主主義なのに、今頃になって弊害が現れるというのも変だと思うのである。もし今弊害が大きくなってきているとするならば、今の人々は昔の人に比べて愚かなのか?という疑問に答えられなければならない。

私が予想するに、昔のメディアは新聞やテレビという形で中央集権的な情報の流布が行われ、やろうと思えば、意図的な情報を流すことも出来、主流派(既得権益者)の方々が上手に世論を形成させて、自分たちの思うように世の中を動かすことができたからだと思うのである。しかし、特にインターネットが出来てからは、非主流派(新興勢力)の方々でも、自分で大衆に向けて情報を発信できるようになった。もちろん、その情報は時にはショッキングな真実であることもあるし、時には偽の情報でもある。時勢に乗っかった時には、非主流派の情報に大衆が靡いてしまう事が多くなってきているのであろう。

ここでは、主流派、非主流派的な対立構造で話を書いたが、このような対立構造が無くても、誰でもセンセーショナルな事をネット上に書いたりアップしたりして、(正しいかどうかは別として)大衆を導ける可能性が出てきたというのが今の政治に携わる人たちの懸念であることは間違い無いだろう。

だからと言って、エリートだけで政をやっていくというのはエリートの特権が確立されやすく、例えば、戦争が生じてしまった際には、文官としてのエリートは頭脳なのだから戦争には行かず、エリート以外が行くべきであるといった事が生じる危険があり、変えていくにしても(過去の失敗の)歴史を踏まえた上での制度改革をしていくべきではある。

投稿者 cazper : 12:00 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年6月24日

panda01.gif 供給過剰時代の超デフレ戦略

2012年2月26日(日)の邱永漢氏のブログにて「工業の豊作貧乏を考慮に入れる必要が」と書かれて久しいのですが、日本の中に居ても電子・電機業界ではいよいよ色々な分野でその影響を感じることが出来るようになりました。

中国国内に限って言えば、鉄鋼・繊維といった古い産業が先に飽和していき世界にデフレを撒き散らしたのですが、今では電子・電気産業でも中国国内マーケットが飽和をしてきた状態となり、格安スマートフォンを武器に成長してきた小米もインドなど他の国へ拡販しないといけない自体となっております。

第2次産業に限って言えば、古い産業は圧倒的に供給が過剰になり、新しい産業も直ぐに新規参入が相次いで製品がコモディティ化し投資回収が終わる前に過当競争が始まる状態になってしまっております。更にネットショッピングや価格比較サイトが発達したことにより、製品の実売価格を知ることが用意になり、性能比較も用意だし、なによりも消費者は一番安い価格をつけた所から購入することが出来るような環境になりました。

「供給過剰」・「比較的早い段階での製品のコモディティ化」・「最安値での購入のしやすさ」のために、商品・サービスを享受する側にとっては嬉しい情況が来た反面、商品・サービスを提供する側には厳しい世の中に成ってきております。

中国メーカの多くは、この状況で生き残るために、最新鋭の機械の導入よりは、コストパフォーマンスの良い機械を中古だろうが新品だろうが買い揃え、設備投資も投資計画に則って揃えるというよりは、受注ベースで強引に整えるという事をやり、無駄が出ない投資をしてきました。また、圧倒的に工場を拡張し、生産量を上げてコストを下げるという前近代的な方法により、マーケットシェアを取ってきました。(そして、マーケットシェアを取ったにも関わらず、利益率の低さから倒産した会社もチラホラと有りました)

このようなマーケット情況にて利益を確保していくためには、そもそも中国系・韓国系が得意とする低付加価値の組立、モジュール生産に手を出さないことが必須になります。この分野に手を出しても良いのですが、従来の日本企業のようなやり方では太刀打ちができません。(中には日系企業でも低付加価値商品を圧倒的な生産をすることで大きな利益を作っている企業が無い事は無いのですが、この手の企業は日系企業の中でも少し特異な感じがします。)

一方で、コモディティ化された商品マーケットでも、マスマーケットを狙わず敢えて値段を高くしてニッチな層をターゲットにすれば高い利益を実現させることは出来そうです。バルミューダのオーブンやダイソンの掃除機が良い例です。ちょっとした使い勝手やちょっとした技術により差別化されている一方で、マーケットが大きくないので、新規参入する企業が来にくいのです。

農業の豊作貧乏と同じで、工業の豊作貧乏が起きてきているので、他の人たちが大規模にやらない物を狙って作って高価格で売るのが供給過剰時代に生き残る術となるような気がします。

投稿者 cazper : 20:12 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年6月20日

panda01.gif 失敗の数が多い程、成長のスピードは上がる

子供の面倒をしてもらうために義父母と共に生活を既に3ヶ月以上続けているわけですが、この義父母は上海に来る以前は50年以上ずっと中国のド田舎で生活をしてきました。ド田舎というと、水道は辛うじてあるけれども浄水場はあるの?ってな状態ですし、電気は辛うじて来てるけれどもガスは来ておりません。

日本でも田舎者が都会に出てくると「都会は怖い、冷たい」という感想を言う人がおりますが、中国でも同様です。更に言うならば、中国の場合にはド田舎と都会は日本のインフラ格差よりも大きいので、田舎者は都会のインフラに慣れるだけでも一苦労があります。

義父母も基本的には同じ状況に置かれております。しかし、義父の方が都会に慣れるスピードが劇的に速いです。それは、性格に起因する事でもあるのですが、義父は積極的に外の世界に触れ失敗を繰り返しながら方向修正するのに対し、義母は比較的家に篭りがちで、寧ろド田舎の生活習慣を家の中に持込み、自分の安全領域の中で安静に暮らそうとするのです。いつも外に行くのはお金の無駄と言い張っているのですが、心の底には都会の他の人に会うと習慣の違いから色々と恥ずかしい目に合うので怖いという感覚があると見受けられます。

良く「若いうちに多く失敗しろ」と言われますが、それは若い時の方が失敗して恥をかいても、周囲が温かい目で見守ってくれるからに他なりません。もちろん、大人でも多く失敗した方が良いに決まっています。ただし、大人になればなるほど、周囲の目を気にしやすいので失敗をする以前に、試行する意欲が低くなりがちです。

年を取れば取るほど「出来て当たり前」で見られてしまうので、恥をかきたくない反面、自分が今までやってきて慣れたことに固執しやすくなります。それを敢えて壊すには、日々に飽きてきたら(マンネリ感が出てきたら)、住んでいる場所を変える、仕事を変えるといった強制的に変化が生まれる事を敢えてやる必要があるかと思います。

試行の回数を増やす → 失敗の回数が増える → 自然と成長していく

行動経済学は「運がいい人っているの?」という問いにこう答えた」にもありますが、運を上げるには試行の回数を増やして、運を呼び寄せるしか無いんだなぁと思う次第。


P.S.「子供に対して叱るのではなく、褒めて伸ばせ」と言われますが、この言葉の本質は「全く叱るな」ではないんだなぁと。何でもかんでも叱ると子供が萎縮してしまい、試行する意欲を失わせてしまいかねない訳です。子供には試行を繰り返させ、それに依る失敗には寛大に見てあげる必要がある一方で、わがままになってしまっている部分に対してはきちんと対処をしていかないといけないのです。

投稿者 cazper : 23:59 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年6月18日

panda01.gif 時間厳守行動がストレスを生み出す

[晴@上海]
よく言われるのは、インド人は約束の時間の3時間後位になって現れる一方、日本人は約束の時間きっちりに現れると。インドは極端だとしても、日本人も実は世界的に極端だと思うわけです。

少し前の記事で「「会議に遅れる」電車飛び降り線路へ...他の客大迷惑 JR常磐線」というのがありましたが、これなんてのは極端な例だとしても一種の日本の闇だったりします。

Navitimeは主要各国で展開しようとしているけれども、例えば中国本土・香港でも電車に乗るぐらいで何時に乗って何時に目的地に到着するといった行動を取る人を見たことがないです。もっとも、日本とちがい、電車以外のバスの交通網が発達しており、通勤時間帯にはバスのタイムテーブルは役に立たない事が背景にあるのかもしれませんが。

しかし、日本では小さい頃から5分前行動を叩きこまれ、大人になっても基本的に約束の時間には現れるのが当たり前という世界になっており、更に悪いことに日本人は比較的他人の事を気にしない民族ではない事も手伝い、時間通りの行動を性格的にやりたくない人でも、村八分になることを恐れて、必死になって食らいつくしかないのです。

そんな情況で社会が安定化してしまったので、サービスの利用者側からしたら安心できるのですが、一方のサービスの提供側からしたら人一倍ストレスが掛かっている情況になってしまっております。そして、サービスの提供者側が何らかの都合で約束の時間に提供出来ないと、苦情の嵐になるし、吊し上げにあう情況になってしまったのです。

サービス提供者とサービス享受者のバランスだけが重要なのだけれども、日本の場合には過度にサービス提供者側に負担が掛かる世の中になって安定してしまったようです。今、妊婦やお年寄りがシルバーシートの側に行っても悪態を突かれて席も譲られない事が度々ニュースに上がってきますが、日本のように時間厳守によるストレスにさらされると、皆の行動が似てしまうため特定の時間帯に電車も過度な満員状態になり、乗るだけで心身共に疲れる事になります。そんな中では自然の優しさも失われて当然だと思うのです。

便利な世の中を作るために、人々が相互にストレスを受けてしまう。何だか世の中って変だなぁと思ったり思わなかったりする今日この頃です。

投稿者 cazper : 13:27 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年6月 8日

panda01.gif システムを作ってきたつもりが、システムに使われる人々

日本と中国を行ったり来たりすると、中国はまだまだカオスだなと思う一方で、日本は秩序立ち過ぎているなと思えてしまいます。

日本の経済は既に失われた20年と言われてきていますが、何故浮上できないのでしょうか?私の考え方としては、浮上出来ないのではなくて、あまりにも秩序立ち過ぎているので変化が起こせない状況にあるのが原因だと思っています。

そもそも経済がよくなるとは、金回りが良くなることです。金回りが良くなるということは、次々に手元のお金が次の人にわたって動く状態です。多くの人が欲しい物が増えれば、どんどんお金は動くようになります。

どんどんお金が動く状態としてふさわしいのは、世の中がカオスな状態から綺麗になっていく時です。日本の場合、既に高度経済成長期で世の中が発達してしまったため、世の中を綺麗にするためにお金が流れません。むしろ綺麗を維持するためにお金が流れます。

ここでは綺麗という言葉を使いましたが、綺麗ということは世の中が秩序だって居る状態とも言い表せます。日本は戦後のカオスの状態から秩序だった世の中を時間を掛けて構築してきました。護送船団方式という言葉があるように、政府の保護という側面もあるのですが、成功する体系を組織的に構築して、秩序だった世の中を構築してきました。

この世の中を引いためで見ると、システムの側面を見出すことが出来ます。例えば、満員電車。効率よく満員にするために、駅には規則立った列が暗黙のように作られ、先に降りる人が優先され、電車の中にいる人はどんどん奥に入り、所狭しとぎゅうぎゅう詰めにされていきます。これ、日本人的には当たり前の行動だと思っているのかもしれませんが、他の国に行けば当たり前ではないのです。

つまり、日本の満員電車の乗る際には、乗車効率を上げるために、人々が暗黙のルールを作り、それに人々がしたがっているのです。これは、まさにシステムです。日本人は効率の良いシステムを至る所に作ってきたのです。

しかし、弊害がありました。それは、時間の効率、その時の経済的な効率を優先したために、人間的(動物的)な部分を圧迫してきたのです。そのためにストレスが生じてしまったのです。一度作られたシステムは中々壊れません。というよりも、一度システムを作ってしまうと、そのシステムを維持するために人々はシステムを維持する駒となってしまうのです。これは細胞が身体や器官を作り上げている一方で、器官を維持するために器官というシステムに細胞が駒扱いされるのと同じです。

人間は主体的に効率のよいシステムをつくり上げることが出来る一方で、いつの間にかシステムに使われるようになっているのです。これに気がつけるか気が付けないかというのは、生き方に差が生まれて行くと思うのです。

投稿者 cazper : 12:58 | コメント (0) | トラックバック | b_entry.gif
     

2016年6月 2日

panda01.gif 仕事とは結局は付加価値を生み出すこと

中国のど田舎でずっと農家兼食器の貸出ビジネスをやってきた義理父母を一緒に暮らし始めたのですが、彼らの働きっぷりを見ていると中国の農家がどんだけ効率が悪いのかを思い知らされます。と言いますのも、義理父母の働きぶり(努力量)は都市の若者が比べ物にならない程凄いのですが、その働きが生み出す価値は超絶的に低く、現在のままの努力が無駄であるという事にも全く気がついておりません。

例をあげるならば、1円の節約をするために毎日1時間も2時間も使って家で使えるかもしれない粗大ごみを探しに街中を探しまくる。それも、今必要な品ではなく2年後かもしれないし、5年後使うか使わないかの品も含めて探しまくるのです。また、日々の生活の中から生まれる廃品業者に売れるような段ボール等の紙ゴミを無駄に貯めこみ部屋のスペースをどんどん減らしていきます。洗濯機があるのに、電気を節約しようと思い、ひどい汚れでもないのに洗濯板で洗い物をしようとします。水の費用を節約しようと、すすぎの水さえも、鍋に貯めて食器を入れるため、最後の最後はすすぎの水なのに色が付き、食器が乾燥すると汚れが目立ちます。

義理父母の農村生活で生み出される価値が低すぎるため、彼らの標準から見れば粗大ごみだろうが紙ゴミだろうがお宝に見えてしまうというのはあるかと思います。また、都市の費用が自分たちが農村で暮らしていたレベルからすると高すぎるため、頑張って節約しようと努力するわけです。

でも、我々は分かるわけです、彼らの努力は「骨折り損のくたびれもうけ」である事を。私のように彼らと一緒に暮らしていると、更に分かるのが、付加価値を生まない努力をされると、部屋のスペースが無くなったり、衛生面が悪くなったりして、生活そのものの存在価値がどんどん下がっていくという事です。(誤解の無いように説明しておくと、ここでの"存在価値"という意味は、誰かがその生活をお金を払って引き継ごうとした際に払う金額である。)

良く企業活動では付加価値を作ることが重要といわれるけれども、付加価値って眼に見えないから「付加価値って何?」ってなります。しかし、上記のような例を見れば低付加価値行為というのは理解できると思います。別に低付加価値を作る行為が悪いわけではないのです、生きている以上、生活コストや企業活動コストが掛かるので、我々はコスト以上に付加価値を創造していかなければならないだけなのです。一般的に都市は農村以上にコストが高いので、高付加価値を生まなければ、何れは生活に窮したり、企業であれば倒産したりという形が待っているだけだったりします。

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2016年6月 1日

panda01.gif 政治家も投下資本利益率を考えなければならない

舛添都知事が議会の所信表明にて「海外出張費、公用車の利用、政治資金の問題について都民と都議会の皆様に迷惑をかけていることに心から謝罪したい」と頭を下げたという。そして、海外出張については飛行機のファーストクラス、ホテルのスイートルームは使わないと明言し、公用車についても厳格に運用すると述べたという。

公金を使ってファーストクラスやスイートルームを使うという事は慎むべきであるという雰囲気があるのだが、画一的に今後は使わないというのも変なものである。公金を使ったとしても、使った以上に(税金としての)リターンが来る確信があるのならば使っても誰も文句は言わないのである。マイクロソフトの創業者のビルゲイツはエコノミーを使って飛んでいるとのこと、それは「エコノミーだろうがファーストクラスだろうが乗っている時間は同じだから」とのこと。

それでも、最近の幹部たちは社内規定にのっとってビジネスクラスに乗っていたりするようでして、ある時、ビジネスクラスが満席で後の便に乗って移動した幹部がいたそうで、席が空いていたエコノミーに乗れば前便で移動出来ていたので、怒ったという話をどこかでみたことがある。つまりは、舛添都知事がした事も同じでして、都知事だから規定でファーストクラスにも乗れるし、スイートにも泊まれるから、乗って当たり前、泊まって当たり前というのが問題なのである。搭乗の当日に重要な客先訪問があり、客先スケジュールもずらせない、ビジネスクラスは既に満席でファーストクラスしかとれないというような状況であれば別に誰もファーストクラスに乗る事を咎めはしないだろう。

話は少し変わるが、東京へのオリンピック招致にしても、その招致・運営のために払う事になったお金(公金)に対して、税金としてのリターンがプラスで回るならば、国立競技場に高いお金を掛けようが、都民に対して都民の負担は無く、むしろ都民にとってプラスになると示せばいいだけである。何かのイベントをするのに公金を使って、その付けが都民・国民の負担になるから皆が文句を言うだけの事。視点をもう少し引くと、日本は歳入に対して歳出が多くなっている状況なので、歳出がどのように歳入を大きくするのかを政治家・公務員が考えていかなければならないのである。

むろん、公金の利用は一般的な投資とは違い、(公金の投下による税金による)リターンを求めずに、純粋に公共のために使うべきだという主張もあるだろうが、それは国の財政がプラスで回る状態での議論であり、財政がマイナスで回っている際には、公金の投下によって経済を回転させ、それによって税金を如何に回収するかに焦点を当てるべきなのである。企業活動で言えば、「投下資本利益率を考えろ」という事になる。もちろん、投下資本に対する利益が得られない状況になるならば、投下資本(つまり公金の利用)を減らさなければならないのは当たり前である。

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2016年5月31日

panda01.gif 技術立国なんてのを考えない方が良い時代になってきた

前置きをすると、技術が大切ではないとも思わないのだけれども、最近の技術の流れを見ていると、顧客の必要とするレベルに対して技術が大幅に超えてしまい、技術開発コストをペイできない事業分野がどんどん増えている気がしてなりません。

パナソニック、9月末をめどにTV用液晶パネルの生産から撤退へというニュースが出るのも、製品のコモディティ化が進み、そこにどんだけの新たな開発をしていっても、顧客は高値で新製品を買ってくれない事態が進んでいる一つの証拠なのだと思います。

2000年頃からIT技術の発達等によって、理系教育が必要であるとの認識が高まってきております。確かに、理系教育は必須なのです、しかし、理系脳が国の発達を助けるかというと、必要条件ではあるものの、十分条件にはならないのです。

技術者が陥る罠は、目の前の製品の改良に凝りはじめ、その製品に対する顧客の要求レベルが高くないにもかかわらず、大きな開発投資を要求してどんどん開発を進めようとしてしまうことです。それによって、損失が生まれた例は幾らでも見つかります。例えば、デジカメ開発。カシオのQV-10が出た頃は30万画素で、画像は小さく、CCDの開発が重要でした。そので高画素化に開発投資が行われていったのです。しかし、高画素化すればするほど開発投資は大きくなる一方で、ある時点から顧客が高画素に対して高いお金を払わなくなりました。そこで、最終的には高画素CCD(or CMOS)をコンデジから一眼レフへ移行し、開発コストを続ける理由にしたのです。

今回のパナソニックの液晶パネル生産からの撤退も同様です。10年前の液晶パネルはまだまだ画素が粗く、顧客も画素の小型化・大容量化にお金を払う気がありました。しかし、ある程度、液晶パネルの画質があがると、顧客は画質が上がった所で、高いお金を払う事がなくなります。

最近では、新興国メーカも技術のキャッチアップのスピードが速く、新技術により良い製品を作ったとしても、同様の製品を1年未満で発売してきます。そうなると、技術開発コストを回収する前に製品単価が下がり、回収期間が伸び伸びになるという事態が発生してしまします。

確かに、医薬・バイオの分野では高度技術が多く、更に、特許・ノウハウで守られる分野も多いという現実と、薬という物自体が顧客を高いレベルで満足させられる物が少ないので、これからも長い期間、技術力こそがマーケットで勝つための必要十分条件になる事はありえるでしょう。

と、考えていくと、今叫ばれているように理系脳・技術立国といった方向性よりは、理系脳・技術という事はコモディティとして捉え(つまり、身につけていて当たり前)、+αの部分を強化していく必要があると思うわけです。チンケな言葉でいえば、イノベーション思考という事になるのでしょうが、そういう新しい発想が出てくる地盤と新しい発想が活かされる環境を整えていく事の方が理系脳を作る事に必死になるよりも必要だなぁと考える次第です。

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2016年5月26日

panda01.gif 中国は既に成長の起爆剤を失ってる気がする。

[霧雨@上海]
上海は暫らく梅雨のように雨の日が続くようです。

日々日本のニュースから中国のニュースから世界的なニュースを見ているのですが、どうも、中国を見ていると成長の起爆剤を失っている気がしてなりません。中国の多くの設備メーカは数年前ぐらいから国内市場が飽和を迎えたので、だぶつきが見えるようになり、国内の在庫を吐くために、また、既に作ってしまった製造ラインの製造を止めるわけにはいかないので、新興国に売り先の活路を見出すようになりました。一方、中国のハイエンド・メーカに関しては、新興国に廉価版を売りながらも、先進国にも食い込もうと努力していました。

しかし、最近肌で感じるのは、ローエンドメーカからハイエンドメーカの全てに関してデフレ圧力が掛かっており、販売数自体は少しずつ伸びているものの売上額の伸びが殆ど出ていない情況が顕著になってきております。中国に進出してきていた日系メーカや商社では、昨年一番話題だったのは「どう撤退するのか」でして、今年になると結構多くの駐在所や分公司において、日本人の管理者が帰任し、その替りは現地の中国人となり、日本人は定期的に日本から出張するような形になってきております。

それでも、上海では地下鉄の駅前開発が進んでおり、ショッピングモール等が建設されているのですが、無理やり需要を作ろうとしている感がありありと出てきており、これ以上スーパーやモールを作っても、赤字経営になる所もそれなりに出てくるのではないかと思えてならなくなってきております。

つまりは、全般的に供給過剰な雰囲気に成ってきております。ただ、昔の日本のように在庫調整をすれば良いという感じではなく、生産キャパ自体が大きいので、全般的に在庫が足りなくなることはないし、ただただ、競合が倒れるか、自分が倒れるかの情況が続いているように感じるのです。

ちなみに、中国で今一番伸び盛りだと思うのは、アウトレットモールでして、中国のいたるところに新規のアウトレットモールが完成し始めております。背景には、中国では一流デパートが客寄せをするために、賃料を1年や3年無料にしてラグジャリー・ブランドに入ってもらっていたのですが、その無料期間が色々な所で終わってきた事にあります。ブランドショップも利益が出る所は引き続き店を出し続けますが、利益が出ない所は早々に撤退するわけで、そこで余ってしまった商品を売りさばくためには、アウトレットモールがどうしても必要になるわけです。

ターゲットの客層は地方の富裕層(+近郊の富裕層)でして、アウトレットモールは上海・蘇州・杭州といった旅行客が来たがる場所に次々と造られております。

話はそれましたが、中国も経済の起爆剤が無いのを気にしていて、公共投資で盛り上げようとしているようですが、公共投資をしてもその先の需要生み出す投資では無くなってきているので、一時的な景気対策となり、その後は金の切れ目が景気の切れ目となるように感じます。

このきな臭い経済状況で、どう生き抜いていくのかってのを日頃から考えないといけないなぁと自分に言い聞かせなければなぁと思う次第です。

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2016年5月25日

panda01.gif システム論から田舎と都会、効率的と非効率的な会社を見る

子供の面倒の手伝いを義母に来てもらって手伝ってもらっていたりするのですが、義母は中国の農村に50才過ぎまで暮らしていたので都市生活というのを今まで知らなかったのです、それが家内の要求で中国大陸で一番先進的な都市である上海に暮らすことになりまして未だに都市生活というのに慣れていません。むしろ上海の大都市で生活が始まったにも関わらず、中国の農村の生活習慣をそのまま持ち込んで来ているので、家の中が農村の環境に近くなり、私としては不満の日々だったりします。また、義母は農村からあまり出たことがないので、1人でタクシーにも乗れないし、電車だって乗れないし、レストランさえ入れません。

日本でも田舎から東京や大阪等の大都市に出てきた人の感想として、良く「都会は怖い」というのが出てきますが、義母が経験しているのも正しく、同様の事態なのだと思います。田舎は小さいコミュニティなので、何かしらのサービスを享受する際には知り合いから享受する事が多く、サービスというのだけが独立した存在には成っていないのです。

田舎の人の多くが「都会が怖い」と感じるのは何故なのでしょうか?その一つの原因は、都会という場所が高度に作られたシステムなので、そのシステムを理解している人にとっては何不自由なく動けるのに対し、田舎から出てきたばかりで都会の流れを知らない人にとっては理解出来ない事が多すぎで、ちょっと動くのにも不便極まりなく、只々怖さしか出てこないのです。

例えば、スイカ、パスモに代表される交通カード。都会の人にとっては、乗り物に乗降車する際に所定の場所にカードをかざすのは当たり前に思えるのですが、日本でも交通カードが出来る前は必ずお金を投入していたし、もっと昔になるとワンマン運転なんてのは少なく、車掌が同時に乗っていて車掌にお金を渡すのが普通だったりしたのです。(中国ではまだまだ車掌が乗っているバスがそれなりに走っています。田舎になると殆ど車掌が乗っているわけです。)

もう一つの例で言うと、八百屋等での野菜の購入。今では日本でも小さい八百屋は少なくなってきているのですが、八百屋に行くと1kg当たり何円といった値札が貼ってあり、最後にレジの所で八百屋の親父が計量して値段を計算し、その場で精算していくという事が多くありました。しかし、現在では八百屋というよりはスーパーが増え、予め量り売りしてパッケージに入っている野菜もありますが、大規模スーパーになってくると、バラ売りされている野菜を計量する場所で量り、そこで値札を貼ってもらってレジで精算するようになっております。

以上、2つの例を上げましたが、現代社会、特に都会になると、経済的な効率を上げるために、分業制になったり、機械化が進められてきたわけです。逆の言い方をすれば、分業制や機械化と言ったより高度なシステムを導入することで、都会は経済的な効率を高めてきたと言えるわけです。それ故、高度なシステムを導入してきた都会では生み出される富が大きくなり、田舎では生み出される富が未だに小さいという差が生まれてきたとも言えるわけです。

しかし、高度なシステムを導入してきて大きな富を生み出せるようになった一方で、今の日本が直面したのが、システムを導入してきた結果、長い高度経済成長期を経て局所最適化に陥ってしまい、強固で変化しにくいシステムが組まれてきたのでマーケットの情況が短期間で変化するような時代になると、硬直的なシステムが経済の足を引っ張るようになってしまったわけです。

バブル崩壊以降、失われた10年・20年の間に経済成長を支えてきた大企業が大きな赤字を出して、酷い時は倒産したり、買収・合併されたりする事があった背景には局所最適に向いたシステムを作り上げた副作用が影響してきたようです。

ここで、システムを別の切り口で見ていきたいと思います。大企業になればなるほど、高度に組み上げられたシステムがあります。ここでのシステムというのはコンピュータ・システムだけに限らず、効率的な組織を運営するための人的なシステムや工場の高効率を生み出すための機械的なシステムといった事も含みます。

ちょっと前に、ライフネット生命の岩瀬大輔社長「インターンさせてほしいって言ってきた学生に名刺のExcel入力の仕事をあげたら2週間で辞めやがった。単純作業でも楽しめよ」というブログ炎上事件がありましたが、この件もシステム論から説明が出来ます。

大企業・大組織になればなるほど、高度なシステムが存在します。そこに新人が会社組織に入るということは、例えるなら、ど田舎に住んでいる人が突然都会に出てきた情況と同じです。新人は、高度なシステムがどのようになって動いているのかをわからない情況下で、会社に貢献していかなければなりません。そうなると、新人が短期間で出来ることは、下働きをしながら、高度なシステムに慣れていく所から始めなければなりません。

一方で、小企業・小組織になればなるほど、高度なシステムはまだ存在しておりません。高度なシステムが存在していないということは、会社自体の仕事の効率がまだまだ大企業に比べると悪いということを意味しています。仕事の効率が悪いということは、各自が専門で一つのことをこなしていくという体制がまだ出来上がっていないので、各自は複数の別分野の仕事に関わりながら仕事を進めていかなければなりません。その上で、大企業に成るべく、今のシステムを高度なシステムに移行していくという仕事も大きなウェイトを占めております。

したがって、インターンをやるならば大企業に入るよりは比較的小さめの企業に入った方が下働きだけの仕事ではなく幅広い仕事に関われる可能性が高いわけです。とはいえ、小企業とて安定的な組織だと既に社内の分業化が進んでいるので、分業化された仕事の中の一番単純な作業だけやらされる可能性は否定できません。

インターンをしたい学生の中には、コンサルティング会社のようにクライアント企業に改善提案をするような仕事をしてみたいと夢見てコンサルティング会社を目指す人がいます。システム構築に携われるので魅力的な仕事として映ります。しかし、そもそも、コンサルティング会社は何をしているのでしょうか?クライアント企業がコンサルティング会社を利用するのには理由があり、そもそも現状に不満があったり将来に不安があるからこそ利用をするわけです。その背景には、企業が作り上げてきた局所最適なシステムが、現状のマーケットや将来のマーケットに合わなくなってきており、現在のマーケットに対する全体最適なシステムを構築するにはどうしたら良いのかアドバイスを貰いたいからに他なりません。

局所最適されたシステムを全体最適なシステムに移行させるという絵を書くこと自体はクリエイティブな仕事なので魅力的では有るのですが、システム移行という作業は、人が日本からアメリカに移住するのと同じで、新しい不安定な環境に切り込んで新たな安定な環境を作っていくという作業が伴います。当然ですが、クライアント企業に保守的な人が多ければ、システム移行を成し遂げるのは難しくなります。また、人がアメリカに移住するのが幸せだったのかという問いと同じで、全体最適なシステムが企業にとって幸せなのかは別次元の問題であったりします。

そして、当然ですが、調子の良い大企業・大組織では会社システムが上手く動いているので、インターンの人に更なる効率的なシステムを提案・実効してもらうといった仕事が来る可能性は極めて低いのです。

結局のところ、システムを構築する仕事に携わりたければ、高度なシステムが構築されていない企業に行かなければならないし、それはそれで、不安定な企業に行くということを意味するし、更に、高度なシステムが無いということは効率的な社内にいは成っていないので、最初は泥臭い作業だれけでシステム構築なんて事に行きつけないので、残業・残業の日々が続く可能性の方が高いわけです。

長々と書きましたが、田舎の生活が好きな人も居れば、都会の生活が好きな人も居るので、効率的だけど硬直的なシステムの中で生きるのが幸せか、非効率だけどシステマチックではない中で生きるのが幸せなのかは、個々人の好みだったりするわけです。

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