Cazperのつれづれ日記: デールカーネギーの印象に残った文章(メモ)

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2005年9月14日

panda01.gif デールカーネギーの印象に残った文章(メモ)

デール・カーネギー氏の著書は非常に人の精神の根本的な部分を書いてあるので、少々私自身が気になった部分をメモ書きしておきます。

人を動かす(デール・カーネギー)から

■"一ガロンの苦汁よりも一滴の蜂蜜を用いた方が多くの蝿が取れる"という古諺はいつの世にも正しい。人間についても同じことが言える。もし相手を自分の意見に賛成させたければ、まず諸君が彼の味方だとわからせることだ。これこそ、人の心をとらえる一滴の蜂蜜であり、相手の理性に訴える最善の方法である。

■二千五百年前に、中国の賢人老子が、現代にも通用する言葉を残している。
「河や海が数知れぬ渓流のそそぐところとなるのは、身を低きに置くからである。その故に、河や海はもろもろの渓流に君臨することができる。同様に、賢者は、人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人の後ろに身を置く。かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じること無く、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない。」

■J・Sレーニンバーグ博士はその著書「人とつきあう法」の中で、次のように述べている。
「自分の意見をのべるだけでなく、相手の意見をも尊重するところから、話し合いの道が開ける。まず、話し合いの目的、方向をはっきりさせて、相手の身になって話をすすめ、相手の意見を受け入れて行けば、こちらの意見も、相手は受け入れる。」

道は開ける(デール・カーネギー)から

■デイヴィッド・シーベリーが「効果的な悩み方」と言う著書の中で、「われわれは、バレエを踊って欲しいと頼まれた読書狂と同様に、経験という圧力に対してはほとんど心の準備が整わないまま成人に達する」と述べているのは至言であろう。
その結果はどうか? 我が国の半分以上のベッドが、神経症や情緒障害の患者で占められることになるのだ。

■「第二。生じうる最悪の事態を予測したら、やむを得ない場合にはその結果に従う覚悟をすること。」〜中略〜
「生じうる最悪の事態を予測し、その結果に従う覚悟ができると、とたんに重大なことが起こりました。私の気分は落ち着き、何日ぶりかで平安を味わったのです。」

■忙しい状態でいること。悩みを抱えた人間は、絶望感に打ち負けないために、身を粉にして活動しなければならない。

■心理学の最高権威であるウィリアム・ジェームズはこんな意見を述べたことがある。
「行動は感情に従うように思われているが、実際には行動と感情は同時に働くのである。意志の力でより直接的に支配されている行動を規制することによって、意志に支配されにくい感情をも規制することができる。」
別の表現をすれば、ウィリアムジェームズは、「決心」することで即座に感情を変えることはできないが、行動を変えることは可能だと言っている。そして、行動を変えれば、感情のほうも自然に変わるだろうというのだ。

ということで、なりたい自分の姿を演じ続ければ、感情もついてくるので、なりたい自分に本当に近付いて来るってことっすね

ps.
いつも怒ったり、落ち着きない人は、感情も常に情緒不安定って事ですな。

■アリストテレスの言う理想人---幸福を享受するのにふさわしい人間---とは、私の父のような人ではあるまいか。アリストテレスは言っている。「理想人は他人に好意をほどこすことから喜びを得る」
本章で強調したい第二のポイントがここにある。幸福を発見したいと願うなら、感謝とか恩知らずなどを考えずに、与えるという内面の喜びのために与えるべきである。

■精神的労働をすることによって、こんな不要な緊張が生じるのは、なぜだろうか?ジョスリンは「ほとんどの人は、困難な仕事は努力する気持ちがなければうまくいかないと信じこんでおり、このことが大きな障害となっている」と述べている。そこで、私達は精神を集中する時に顔をしかめ、肩をいからせ、努力という動作をするために筋肉に力を入れるが、それは全然私達の脳の働きを助けてはいない。
〜中略〜
この神経性の疲労に対する対策は何か? 休息、休息、休息! 仕事をしながら休息する術を覚えることだ!

投稿者 cazper : 2005年9月14日 08:59 | b_entry.gif
     

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コメント

人生は一言でいいあらわすのは難しいですね。自己啓発本では大概
怒るな、努力せよに尽きるけれども、人に優しくという言葉ひとつにしても、それはすべて許していいのか、または許す基準はどこなのかわからなったりてする。道理のわからない、または甘えをよしとする子供や年寄り相手だと、怒るべきかよしよしとフォローしていいのかわからない。特に年寄りは困りもので、レジでもたもた、あっちの財布こっちの財布、一円二円をゆっくり数えている。そして待ってくれている相手が年寄りに払う当然の優しさと思っている。みんな年寄りに優しい。年寄りはその優しさに甘えてると思う。待っている人たちに悪いという態度がまるで見えない。後に並んでいる人のことなんか気にかけてもいない。年寄りはもう少し謙虚になったら、回りの人たちの理解も得やすいだろうに、まるで回りなんか目に入っていない様子。年寄りであることに甘えるなといいたい。人間関係の基本を忘れていると思う。ありがとう、ごめんなさい。

投稿者 cootan : 2005年11月 8日 23:50