Cazperのつれづれ日記: メディア戦略で民主主義を利用してきたが、ネットの時代になり制御できなくなったでござる

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2016年6月28日

panda01.gif メディア戦略で民主主義を利用してきたが、ネットの時代になり制御できなくなったでござる

今回のイギリスのEU離脱の件を眺めていると、「民主主義の弊害」「衆愚政治」と言った言葉が踊っている。他方、自民党系の方々からも「その身勝手な個人主義に基づく投票行動が政治を衆愚政治に向かわせ、政治は大衆迎合するようになっていった。」といった言葉が聞かれるようになった。だからこそ、衆愚政治にさせないためにも参政権をエリートのみに絞るようにしていくべきだという主張をしている人が増えつつ有るようである。

それなりの期間続き、広まってきた民主主義なのに、今頃になって弊害が現れるというのも変だと思うのである。もし今弊害が大きくなってきているとするならば、今の人々は昔の人に比べて愚かなのか?という疑問に答えられなければならない。

私が予想するに、昔のメディアは新聞やテレビという形で中央集権的な情報の流布が行われ、やろうと思えば、意図的な情報を流すことも出来、主流派(既得権益者)の方々が上手に世論を形成させて、自分たちの思うように世の中を動かすことができたからだと思うのである。しかし、特にインターネットが出来てからは、非主流派(新興勢力)の方々でも、自分で大衆に向けて情報を発信できるようになった。もちろん、その情報は時にはショッキングな真実であることもあるし、時には偽の情報でもある。時勢に乗っかった時には、非主流派の情報に大衆が靡いてしまう事が多くなってきているのであろう。

ここでは、主流派、非主流派的な対立構造で話を書いたが、このような対立構造が無くても、誰でもセンセーショナルな事をネット上に書いたりアップしたりして、(正しいかどうかは別として)大衆を導ける可能性が出てきたというのが今の政治に携わる人たちの懸念であることは間違い無いだろう。

だからと言って、エリートだけで政をやっていくというのはエリートの特権が確立されやすく、例えば、戦争が生じてしまった際には、文官としてのエリートは頭脳なのだから戦争には行かず、エリート以外が行くべきであるといった事が生じる危険があり、変えていくにしても(過去の失敗の)歴史を踏まえた上での制度改革をしていくべきではある。

投稿者 cazper : 2016年6月28日 12:00 | b_entry.gif
     

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