Cazperのつれづれ日記: 他人の基準で生きるか、自分の基準で生きるか

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2005年9月12日

panda01.gif 他人の基準で生きるか、自分の基準で生きるか

人間は「他人の基準で生きるか、自分の基準で生きるか」のどちらか1つ選択する事ができます。

例えば、小学校生活が6年、中学校生活が3年といった義務教育を、そのまま受けると言う行為は他人が定めた時間軸に従って生きている事を示しています。

一方で、大学の卒業を故意に伸ばしたり、大学を途中で辞めて自分の惚れ込んだ会社に入ったりする行為は、自分が定めた時間軸に従って生きている事を示しています。

大人になればなる程、自分の基準で生きる事が原理的には出来るようになってきます。しかし、幾どの大人は大人になればなる程、他人の基準で生きるようになってきます

年金問題や定年問題はその代表例でしょう。年金が支払われる額や開始日は国が定めた基準なわけですし、定年の時期は所属する会社が定めた基準なわけです。

もちろん、他人の基準で生きることが悪いとは言いません。他人の基準で生きると言うことは、基準自体を自分で設定する必要が無いので ある種の楽ができます。

他人が言った通りに従っていれば、その他人が裏切らない限りは将来が約束されています。

しかし、同時に予想されなかった環境の変化や他人の裏切りにより、将来が突然暗闇になる危険性があるという事も知っていなければなりません。

なぜならば、他人の基準で生きると言うことは、他人の良い都合も悪い都合も受け入れると言う事を意味していますから。


対して、自分の基準で生きると言うことは自分で基準を作る所から始めなければならず、他人に任せるよりも苦労が多々有ります。

骨董品屋の親父は、持ち寄られた物を買う際にはその商品の"商品価値"を知った上で、あらゆる市場での"価格"を把握していなければなりません。そのため、常に商品情報や市場情報を収集する努力が必要となります。

しかし、自分の基準で生きると言うことは努力や苦労があるものの、ある種の自由が保証されます。

骨董品屋の親父で言えば、ある種の絵画を高値で買うという人が現れても、自分自身がPricelessな商品だと思った絵画だったら売らないという自由が保証されます。


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他人の基準で生きるのか、自分の基準で生きるのかを選択するのは各々の自由なわけですが、現状では他人の基準で生きている人が多いようです

そして本来ならば、他人の基準で生きる人は基準を策定する他人を常にチェックしていなければなりません。しかし、現実的にはチェックしていない人が多いようです。(なぜならば他人に実務を任せたとしても、管理者として自分は更に鍛えないといけないはずなのですから)

というわけで、現実の世界では自分の基準で生きている人の方が、常に学んでいるし、自分也の基準を定めて生きていくので、真の意味で自立した生活を営んでいる人が多いようですね。

投稿者 cazper : 2005年9月12日 21:09 | b_entry.gif
     

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