Cazperのつれづれ日記: 測れないものこそ関心をもつべき

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2006年10月 5日

panda01.gif 測れないものこそ関心をもつべき

ようやく↓を読み終えたのですが、私が普段思っている事そのものが書いてあって非常に面白いです。
出現する未来

ちょっと長文を引用してしまうので気が引けるのですが、紹介しておきます。

測定
 皮肉にも、科学や社会において断片化を主導しているのは科学の偉大なツール…測定である。量的測定は、科学の貴重なツールであると同時に、経営者に欠かせないツールとなっている。だが、測定は、行き過ぎた一般化を招きやすい。人は、測れるものしか「現実」だと見なくなる。経営者には、つぎのような格言でお馴染みだろう。「測れないものは、管理できない」、「人は測られるものにしか関心を払わない」
 測定を過信すると、世界を関係ではなく物としてしか見なくなる。そして、「ハード(数量化できるもの)」と「ソフト(数量化できないもの)」の安易な二分法に陥る。数量で測定できるものこそが「現実的」だと感じるなら、個人間の関係の質や仕事での目的意識といったソフト面は、二次元的な立場においやられる。これは皮肉なことだ。ソフト面こそうまく扱うのが難しく、成功と失敗を沸ける最大の要因になることが多いのだから。たとえば、エンジニアならよくわかっているはずだが、技術的にはもっとも優れたソリューションが、信頼の欠如やコミュニケーション不足のために、うまく実行されなかったり、失敗したりする場合がある。(pp.230-231)

 学校でいうならば、国語・算数・理科・社会のテストで測れる結果こそが全てだと学校の先生は思い込んでいる節があるんですよね。まぁ、受験をするには、これらの科目で高い点数を取る必要はあるにはあるのですが、社会に出ると必ずしも高い点数を取った人間が幸せな人生を送っているのかというとそうでは無いんですね。学校教育では、各教科のほかに、人間(or動物)が豊かに生活を送るにはどういう社会にしていくべきで、各人はどういう人生を歩むのが良いのかという事を考えさせていくべきだと思うんですね。
 まぁ、学校の先生になった人の殆どは、こんな事考えようともしないでしょうけれども。(だからこそ、今の教育システムにおける先生になったわけですし。)

 企業活動でいうなれば、売上げ、原価、利益率、キャッシュフロー等々…数字で管理する事に注力する人々が多いんですね。某C社なんて、社内における人の歩く速さまで管理してますし…。
 確かに、目標設定を数字で行い、数字で管理すれば企業体としては利益が伸ばせるかもしれません。しかし、そこで働く人々の生活(感)自体が豊かになるわけではないんですね。こんな事を書くと、ある種の管理者は、その企業で給料を貰っているのだから当然数字で管理されて当たり前だろと思うことでしょう。でも、その管理者が本当に考えなければならないのは、管理しなくても良い結果が出てくる仕組みを作る事だったりします。

そもそも、様々な行為の原動力は測れないものなんですよ。ただ、それだと客観性を欠くので、ある種の物差しを導入したに過ぎないのです。

P.S.1
 世の中を眺めていると、究極的には人徳とか哲学・思想といったものが重要なのが見えてくるのだけど、どうも、そういう部分に到達していない人が多いですね。そういう人々が近視眼的に物事を動かそうと努力しているのを見ると悲しくなってきます。近視眼的な部分に力を掛けても、直ぐに新たな問題が出てくるんですよ。そして、永久に(無駄な)努力をし続けるんですよね…

P.S.2
無駄な努力で思い出したのですが、入門C言語の「はじめに」のページに蛍光ペンを引いていた人を思い出しました…こういうのも無駄な努力ですね(>o<)

P.S.3
思想・哲学的なことは重要なのだけど、これら主張しはじめると怪しい宗教家?と思われたりするんだよなぁ~

投稿者 cazper : 2006年10月 5日 07:23 | b_entry.gif
     

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