Cazperのつれづれ日記: システム論から田舎と都会、効率的と非効率的な会社を見る

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2016年5月25日

panda01.gif システム論から田舎と都会、効率的と非効率的な会社を見る

子供の面倒の手伝いを義母に来てもらって手伝ってもらっていたりするのですが、義母は中国の農村に50才過ぎまで暮らしていたので都市生活というのを今まで知らなかったのです、それが家内の要求で中国大陸で一番先進的な都市である上海に暮らすことになりまして未だに都市生活というのに慣れていません。むしろ上海の大都市で生活が始まったにも関わらず、中国の農村の生活習慣をそのまま持ち込んで来ているので、家の中が農村の環境に近くなり、私としては不満の日々だったりします。また、義母は農村からあまり出たことがないので、1人でタクシーにも乗れないし、電車だって乗れないし、レストランさえ入れません。

日本でも田舎から東京や大阪等の大都市に出てきた人の感想として、良く「都会は怖い」というのが出てきますが、義母が経験しているのも正しく、同様の事態なのだと思います。田舎は小さいコミュニティなので、何かしらのサービスを享受する際には知り合いから享受する事が多く、サービスというのだけが独立した存在には成っていないのです。

田舎の人の多くが「都会が怖い」と感じるのは何故なのでしょうか?その一つの原因は、都会という場所が高度に作られたシステムなので、そのシステムを理解している人にとっては何不自由なく動けるのに対し、田舎から出てきたばかりで都会の流れを知らない人にとっては理解出来ない事が多すぎで、ちょっと動くのにも不便極まりなく、只々怖さしか出てこないのです。

例えば、スイカ、パスモに代表される交通カード。都会の人にとっては、乗り物に乗降車する際に所定の場所にカードをかざすのは当たり前に思えるのですが、日本でも交通カードが出来る前は必ずお金を投入していたし、もっと昔になるとワンマン運転なんてのは少なく、車掌が同時に乗っていて車掌にお金を渡すのが普通だったりしたのです。(中国ではまだまだ車掌が乗っているバスがそれなりに走っています。田舎になると殆ど車掌が乗っているわけです。)

もう一つの例で言うと、八百屋等での野菜の購入。今では日本でも小さい八百屋は少なくなってきているのですが、八百屋に行くと1kg当たり何円といった値札が貼ってあり、最後にレジの所で八百屋の親父が計量して値段を計算し、その場で精算していくという事が多くありました。しかし、現在では八百屋というよりはスーパーが増え、予め量り売りしてパッケージに入っている野菜もありますが、大規模スーパーになってくると、バラ売りされている野菜を計量する場所で量り、そこで値札を貼ってもらってレジで精算するようになっております。

以上、2つの例を上げましたが、現代社会、特に都会になると、経済的な効率を上げるために、分業制になったり、機械化が進められてきたわけです。逆の言い方をすれば、分業制や機械化と言ったより高度なシステムを導入することで、都会は経済的な効率を高めてきたと言えるわけです。それ故、高度なシステムを導入してきた都会では生み出される富が大きくなり、田舎では生み出される富が未だに小さいという差が生まれてきたとも言えるわけです。

しかし、高度なシステムを導入してきて大きな富を生み出せるようになった一方で、今の日本が直面したのが、システムを導入してきた結果、長い高度経済成長期を経て局所最適化に陥ってしまい、強固で変化しにくいシステムが組まれてきたのでマーケットの情況が短期間で変化するような時代になると、硬直的なシステムが経済の足を引っ張るようになってしまったわけです。

バブル崩壊以降、失われた10年・20年の間に経済成長を支えてきた大企業が大きな赤字を出して、酷い時は倒産したり、買収・合併されたりする事があった背景には局所最適に向いたシステムを作り上げた副作用が影響してきたようです。

ここで、システムを別の切り口で見ていきたいと思います。大企業になればなるほど、高度に組み上げられたシステムがあります。ここでのシステムというのはコンピュータ・システムだけに限らず、効率的な組織を運営するための人的なシステムや工場の高効率を生み出すための機械的なシステムといった事も含みます。

ちょっと前に、ライフネット生命の岩瀬大輔社長「インターンさせてほしいって言ってきた学生に名刺のExcel入力の仕事をあげたら2週間で辞めやがった。単純作業でも楽しめよ」というブログ炎上事件がありましたが、この件もシステム論から説明が出来ます。

大企業・大組織になればなるほど、高度なシステムが存在します。そこに新人が会社組織に入るということは、例えるなら、ど田舎に住んでいる人が突然都会に出てきた情況と同じです。新人は、高度なシステムがどのようになって動いているのかをわからない情況下で、会社に貢献していかなければなりません。そうなると、新人が短期間で出来ることは、下働きをしながら、高度なシステムに慣れていく所から始めなければなりません。

一方で、小企業・小組織になればなるほど、高度なシステムはまだ存在しておりません。高度なシステムが存在していないということは、会社自体の仕事の効率がまだまだ大企業に比べると悪いということを意味しています。仕事の効率が悪いということは、各自が専門で一つのことをこなしていくという体制がまだ出来上がっていないので、各自は複数の別分野の仕事に関わりながら仕事を進めていかなければなりません。その上で、大企業に成るべく、今のシステムを高度なシステムに移行していくという仕事も大きなウェイトを占めております。

したがって、インターンをやるならば大企業に入るよりは比較的小さめの企業に入った方が下働きだけの仕事ではなく幅広い仕事に関われる可能性が高いわけです。とはいえ、小企業とて安定的な組織だと既に社内の分業化が進んでいるので、分業化された仕事の中の一番単純な作業だけやらされる可能性は否定できません。

インターンをしたい学生の中には、コンサルティング会社のようにクライアント企業に改善提案をするような仕事をしてみたいと夢見てコンサルティング会社を目指す人がいます。システム構築に携われるので魅力的な仕事として映ります。しかし、そもそも、コンサルティング会社は何をしているのでしょうか?クライアント企業がコンサルティング会社を利用するのには理由があり、そもそも現状に不満があったり将来に不安があるからこそ利用をするわけです。その背景には、企業が作り上げてきた局所最適なシステムが、現状のマーケットや将来のマーケットに合わなくなってきており、現在のマーケットに対する全体最適なシステムを構築するにはどうしたら良いのかアドバイスを貰いたいからに他なりません。

局所最適されたシステムを全体最適なシステムに移行させるという絵を書くこと自体はクリエイティブな仕事なので魅力的では有るのですが、システム移行という作業は、人が日本からアメリカに移住するのと同じで、新しい不安定な環境に切り込んで新たな安定な環境を作っていくという作業が伴います。当然ですが、クライアント企業に保守的な人が多ければ、システム移行を成し遂げるのは難しくなります。また、人がアメリカに移住するのが幸せだったのかという問いと同じで、全体最適なシステムが企業にとって幸せなのかは別次元の問題であったりします。

そして、当然ですが、調子の良い大企業・大組織では会社システムが上手く動いているので、インターンの人に更なる効率的なシステムを提案・実効してもらうといった仕事が来る可能性は極めて低いのです。

結局のところ、システムを構築する仕事に携わりたければ、高度なシステムが構築されていない企業に行かなければならないし、それはそれで、不安定な企業に行くということを意味するし、更に、高度なシステムが無いということは効率的な社内にいは成っていないので、最初は泥臭い作業だれけでシステム構築なんて事に行きつけないので、残業・残業の日々が続く可能性の方が高いわけです。

長々と書きましたが、田舎の生活が好きな人も居れば、都会の生活が好きな人も居るので、効率的だけど硬直的なシステムの中で生きるのが幸せか、非効率だけどシステマチックではない中で生きるのが幸せなのかは、個々人の好みだったりするわけです。

投稿者 cazper : 2016年5月25日 18:48 | b_entry.gif
     

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