Cazperのつれづれ日記: 仕事とは結局は付加価値を生み出すこと

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2016年6月 2日

panda01.gif 仕事とは結局は付加価値を生み出すこと

中国のど田舎でずっと農家兼食器の貸出ビジネスをやってきた義理父母を一緒に暮らし始めたのですが、彼らの働きっぷりを見ていると中国の農家がどんだけ効率が悪いのかを思い知らされます。と言いますのも、義理父母の働きぶり(努力量)は都市の若者が比べ物にならない程凄いのですが、その働きが生み出す価値は超絶的に低く、現在のままの努力が無駄であるという事にも全く気がついておりません。

例をあげるならば、1円の節約をするために毎日1時間も2時間も使って家で使えるかもしれない粗大ごみを探しに街中を探しまくる。それも、今必要な品ではなく2年後かもしれないし、5年後使うか使わないかの品も含めて探しまくるのです。また、日々の生活の中から生まれる廃品業者に売れるような段ボール等の紙ゴミを無駄に貯めこみ部屋のスペースをどんどん減らしていきます。洗濯機があるのに、電気を節約しようと思い、ひどい汚れでもないのに洗濯板で洗い物をしようとします。水の費用を節約しようと、すすぎの水さえも、鍋に貯めて食器を入れるため、最後の最後はすすぎの水なのに色が付き、食器が乾燥すると汚れが目立ちます。

義理父母の農村生活で生み出される価値が低すぎるため、彼らの標準から見れば粗大ごみだろうが紙ゴミだろうがお宝に見えてしまうというのはあるかと思います。また、都市の費用が自分たちが農村で暮らしていたレベルからすると高すぎるため、頑張って節約しようと努力するわけです。

でも、我々は分かるわけです、彼らの努力は「骨折り損のくたびれもうけ」である事を。私のように彼らと一緒に暮らしていると、更に分かるのが、付加価値を生まない努力をされると、部屋のスペースが無くなったり、衛生面が悪くなったりして、生活そのものの存在価値がどんどん下がっていくという事です。(誤解の無いように説明しておくと、ここでの"存在価値"という意味は、誰かがその生活をお金を払って引き継ごうとした際に払う金額である。)

良く企業活動では付加価値を作ることが重要といわれるけれども、付加価値って眼に見えないから「付加価値って何?」ってなります。しかし、上記のような例を見れば低付加価値行為というのは理解できると思います。別に低付加価値を作る行為が悪いわけではないのです、生きている以上、生活コストや企業活動コストが掛かるので、我々はコスト以上に付加価値を創造していかなければならないだけなのです。一般的に都市は農村以上にコストが高いので、高付加価値を生まなければ、何れは生活に窮したり、企業であれば倒産したりという形が待っているだけだったりします。

投稿者 cazper : 2016年6月 2日 19:47 | b_entry.gif
     

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